校名「伝習館」の由来
「論語」にある
「吾日に吾が身を三省す……習はざるを伝ふるか」
〜自分が習得してもいないことを人に教えたりしていないだろうか〜
という言葉からとられました。 教える者(教師)の責任と、学ぶ者(生徒)の心がまえを厳しく戒める「伝習」の二文字は、時を越えて普遍のテーマを問いかけています。
学校の沿革
1660年頃 | 安東省菴の私塾創建 |
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1824(文政7)年 | 藩学伝習館設立 |
明治初期 | 藩学解体 柳河師範学校など変遷 |
1894(明治27)年 | 中学伝習館設立(福岡県立) |
1900(明治33)年 | 柳河高等女学校設立(福岡県立) |
1949(昭和24)年 | 福岡県立伝習館高等学校発足(旧制中学伝習館と柳河高女の統合) |
校章「三稜」

伝習館のシンボルマークを「三稜マーク」といいます。
明治時代に校章に採用されて以来、伝習館の教育目標を象徴してきました。
三方にのびる稜線は、学校、あるいは生徒の人間性がバランスよく成長することをあらわしています。
けっして勉強や知識だけに偏らず、「知」「徳」「体」の均衝をめざす、これが伝習館の教育です。
学徒動員殉難之碑


広島への原爆投下の翌日、大戦末期の昭和20年8月7日、米軍機の大牟田空襲により、市内の工場で動員作業中の中学伝習館生徒3年生と4年生の内、17名の尊い命が奪われました。
この犠牲となられた17名の同窓を慰霊し平和を祈念すると共に、後世に語り継ぐため、「学徒動員 殉難之碑」が昭和44年、同期生の方々を中心に、かつての奉安殿跡に建立されました。
現在も毎年、学友が全国から集い、慰霊祭が行われています。
「学徒動員 殉難之碑」は、現在、校舎改築により校地南側の三稜記念館前庭に移設されています。
伝習館高等学校校歌

北原白秋 作詞 |山田耕筰 作曲
- 星座よ輝け 我がこの柳河
橘蔭後あり 開きて匂はむ
伝習館 伝習館
正大ここに集ひ
剛健夙にきこゆ
為すべし為すべし 我等友あり
- 平野よ栄あれ 我がこの南筑
醇風学あり 緑の若葦
伝習館 伝習館
新人雲と興り
誠実土にひびく
起つべし起つべし 我等奮へり
- 洋々 明日あり 我がこの清流
注ぐに海あり 水路は環れり
伝習館 伝習館
眼眸常に広く
明朗空を慕う
往くべし往くべし 我等競へり